20150613 NEWS white(2)

なんとなくぼーっとしている。
ネットをしている時点で「書くこと」か「描くこと」それに近いことが好きな人間なんだろうと思うので、珍しいことでもなんでもないんだろうが、コンサート終わりにセットリストを検索し、そこからNEWSがどの曲でどこの位置に移動したかみたいなのを、ノートを買いに行き書き留めた。
終わった後、日付すら越えた時間にわたし個人の記憶で思い起こしたものなので信憑性には些か欠けるものの無いよりはましかと思って書いたし、書いたらすっきりするのが分かっていたので書いた。
この曲のときにトロッコがスタンバイ、というところまでは覚えてなくて残念だ。
ここらへん、という曖昧な記憶が悔やまれる。
けれど、最初の書きたい初期衝動のときに、一番に紙に書きたくなるのはどうしてだろう。
調べたら出てくる便利な時代に自分の字で手を動かしてノートに書きつける充実感といったらない。
そういうときに紙はなく、ノートを買いに行ったわけだけれど。
見返していくと、自分の文字がどんどんといつもの文字に戻っていきそれまで荒々しいのが面白い。
本がなくならないようにノートもなくならないんだろうな、紙に書くという衝動は人間きっと消えない。

ここまで覚えていたのは神保町花月の影響かもしれない。
神保町花月をメモを取らないで見ると豪語したくせに帰りにたまらず上から展開を台詞込みで書いていく(自分の中ではあるあるの)アレだ。
余りにも検索で来る人が多く、少し怖くなったので再演の可能性が無いながらJUGEMで書いていたそれは非公開にしている。
もはやネタバレを越えた書き起こしレベルだし、主観が入っていることも否めない所が嫌だった。
でも今JUGEMは携帯でなくアプリを利用しないと非公開記事のチェックが出来ないので、自分が見たいときに見るという言う意味ででも再掲したいなと今ふと思った。

本日帰宅(朝七時か八時)し、お風呂に入り日記を書き片付けをして、今うどんを茹でて食べ終わり、パソコンをつけた。
ここまでの文章を書いたあたりで、セットリスト通りのプレイリストを作り、流しながら文章を書いている。
書いたって誰も読まない面白くも無いこれを書かずにはいられないのは、私が書く人間だからなんだろう。
ノートに書いて、パソコンで書いて、携帯は打ちにくいし、見直し必要だから嫌。

コンサートグッズで販売されている内輪を買った記念に、それをバックから一度出し、いつでも見られるように携帯で写真を撮る数秒も気恥ずかしく、またしまった。

コンサートのことを一応一晩置いて思い出すことにする。
(これの一つ前は今朝帰りの電車で書いたので一晩置いたにはしないことにしたが、一食挟んだしいいだろう)
またネタバレすることも言っちゃうんだろうな、と思うので空けて書く。

 

 

手越祐也さんの引力は恐ろしい。
コンサートのことでもしなにか一つ言えるとしたらそれを一番に言いたくなる。
手越祐也さんはかっこいい。
購入したカレンダー、小山さんのここがいい、増田さんのここがいい、加藤さんのここがいい、とご一緒した方とどきどきしながら一枚一枚捲った。
きゃー、きゃー、と捲る中、手越さんのときが一番ときめかなかった。
それは「かっこよすぎる」ポテンシャルを持っていることが当たり前だったから、いつも通りかっこいいなあというかっこよさ慣れだと思われる。
カレンダーの写真が特別カッコイイのではなく、テレビでも雑誌でもわたしが知っている手越祐也で、今日はちょっと・・・なんてことはない。
それはジャニーズで女の子のような端正な顔立ちで顔を見慣れていて露出があるので、いつもかっこいいと感じるという風にイコールで結びつけるのは短絡的に思えた。
だからコンサートで手越祐也さんが登場したときも「金髪は映える、目立つ」とか「本当に歌がうまいなあ」と思っていたけれど、徐々にコンサートという空間に馴染む中で手越さんはとても目を惹いた。
もっと細かいことを言えば見ていなかったのに、記憶に手越さんの行動ははっきりと残っているのだ。
意識して小山さんだけを見ていたというのに、加藤さんが二番目、テゴマスは同時にトロッコで同じ方向が(余り?)なかったらかどうしてもトロッコ二台が来た場合ならコヤシゲを視線的に優先しがちだった。
なのに手越さんの笑顔も、マイクを掴んだまま大サビなど長く伸ばすところでひたすらシャウトに近い声を出す姿、一人ずつのカメラアピールで加藤さんの歓声に負けじと二つのアピールをしてカメラに体が消えないように近づき続けたり、まざまざとそういうところが思い出せる。
手越さんといえば負けず嫌いなんてイメージがあるけれど、本当に誰よりもキャーキャー言われたいんだなと思った。
凄いところは「誰よりもキャーキャー言われたい手越祐也」を見て、わたしは「もっともっとキャーキャー言ってあげたい」と思うところである。
まだ足りない、いや、多分この次もと永遠に歓声にも貪欲なんだろうけれど、だからこそ一度でも多く、あの空間で彼にキャーキャー言いたかった。
見ていないのに、覚えている、というのは、やっぱり見ていたわけで、覚えているということは印象的で、印象的なことをしていたかといったら四人の一挙手一投足全部印象的なのに手越さんが優先されるのは、彼が光っていたから。
全く分からないけれど、手越さんにあんな引力があることを知らなかった。
手越さんを甘く見ていたことになるんだと痛感するほど、あの貪欲なカメラアピールやテレビラジオの存在でもわかるはずだったのに、想定をはるかに超えた圧倒的に人を惹き付ける引力とかまばゆい光みたいなものがあった。
でもそれは、崇めたくなる程(二宮和也さん曰く神格化する瞬間)というよりもどうしたって気になる危なっかしさみたいなものも混じっていて、だからこそ余計覚えている。
次に何をするんだろう?次に何かしてしまうんじゃないか?そんな不安と期待。
努力と持って生まれた才能で培った素晴らしい歌唱力・歌声と、誰もが認める美しさと、彼が内包する危なっかしくてでも放っておけない感覚(多分貪欲さから来る)全てがごちゃ混ぜになった彼の引力はきっと誰もを虜にする。

私は昔歌をかじっていた、入院中暇な学生時代、自分は誰かにぼろくそに言われないとダメだと適当なオーディションに応募したら、ちょっとだけ引っかかったのだ。
引っかかっただけなので、別に受かったわけでなかった気がする。
事務所に所属し、ボイトレに通い、事務所審査みたいなライブを三回くらいやって、アイドルになりませんかと言われて怖くなってやめた。(多分一年くらい)
歌は下手だけど声がいい、声は持って生まれたものだけど歌は練習すればどうにかなると偉いっぽい感じの人は言った。
結構はっきり宣告された「歌はうまくない」わたしに出来ることは「歌がうまくなること」だ。
今まで何気なく聞いていた歌をレッスン曲で使うことになり、ひたすら先生と楽譜に沢山のことを書き込んだ。
いつかのsummer(嵐・ソロ曲レコーディング風景映像)の相葉さんの歌詞の書き込みと同じように、書いた。
音符も分からない、ピアノも弾けない、記号なんて>、<しか知らないけどやりかたもわからない。
強弱、ここは伸ばす、息を吸う、吐く、溜める、間、歌詞の文字のどの一文字に力を混めるか、抜くか。
>、や<、歌詞をひらがなにして強いところ弱いところに丸をつけたりした。
最初に「歌はうまくない」と言われている分、目指すところはその最初の取っ掛かりで、だから必死に歌った。
カラオケ屋にフリータイムで入り同じ曲を楽譜を見ながら歌った、本当に一生分くらい。
やっても、やっても、やっても上手くならなくて、いつも家で楽しく口ずさんでいた歌はただの練習になった。
練習はわたしにはこれ、と提示された歌で好きでもない歌を繰り返し繰り返し歌っていたら嫌になった。
歌いながらここは>がついていて、でも次の冒頭が<で一文字目を強くするからと考えるのが嫌で、嫌で、嫌で、嫌だった。
歌が嫌いになった、好きな歌を歌うことも嫌だった、メロディに声を乗せるのが嫌なのだ。

東京ドーム、規制退場を待っている間に手越さんのソロの話をしていたら、今書いた自分のことを思い出した。
手越さんが自分でボイトレをつけ、練習をしたという話がよぎったときに思い出した。
そして自分の弱さも、手越さんの強さや覚悟がある意味リアルに感じた。
ジャニーズだからという風潮の残る世界で、デビューした手越祐也さんの今の歌声はとんでもない。
弾き語りの「あなた」は、間も、呼吸も含めた全ての世界が手越祐也さんのものだった。
彼一人の声に包まれて、反響する彼の声の残り一つ一つも、奏でる音も、語りかけるような歌声も、全部が美しかった。
さくらガール、「そんなこと知らない僕に何が出来たって言うのさ」という手越さんのパートの身を切られるような切なさに目が潤んだ。
CDでも苦しくなるのに、生歌はここまで凄いのか、と。
歌だけで、涙が出るなんて信じられない。
手越さんの歌が上手いことを前提に聞いていたし、NEWS自体もメインステージで歌だけを魅せる部分をきちんと作ろうと思えばそういう路線でも出来る歌唱力のバランスのあるグループだと思う。
どうして彼に引力があるのかと同じくらい、どうして彼の歌はあんなに心を掴まれるのか、結局良く分からない。
でも全てにおいて、もともとの才能という言葉で一番片付けたくない人だと感じた。

別に手越さんについて書こうと思っていたわけではないので、自分でも驚いているけれど、まぁまぁ長いしここで一区切りつけようかなと思う。

20150613 NEWS white(1)

6月13日はNEWS コンサートツアーwhite、東京ドーム初日だった。
初めてのNEWSコンサートに行き、NEWSを見た、NEWSのコンサートを見た1名の人間の感想・記録のつもりである。

まず、私は無事13日のチケットを二枚入手した。
一緒に行く方は私にNEWSを進めてくださった方だ。
朝から待ち合わせをし、グッズ列に並び、何を買うか悩んだり、買うつもりのないものまで買ったり。
そしてグッズを眺めながらなんやかんやと話し、一人ではなく、誰かと会場に入る。
どれもこれも新鮮でわくわくした。
趣味は共有することや語ることで濃密さを増すのだとしみじみ感じる。
6月13日、会場までの時間に行ったひとつひとつが、健全なジャニーズファンな感じがして嬉しかった。
もちろんご一緒してくださった方が、大人で気の回る優しい方だったからというのもある。
ご一緒してくださった方には感謝してもしきれない。

そして今回は初めてのNEWSコンサートの感想をセトリでも何でもなく、ただランダムに思うままに、書いていきたいと思う。
ここからはネタバレなどがある(可能性がある)のでお嫌な方はスルーしてください。




写し出されたwhiteの文字や、あしらわれた今回のwのマーク、他は本当に特筆するべきことがないほど、シンプルな会場。
私はコンサートがはじまるまで、NEWSの誰がどんな風に好きなのか全く分からなかった。
小山さんのうちわ、写真、カレンダーを購入しておいて何をいっているのだ、という感じだけれど、コンサートに魔法や奇跡があることを私は知っていた。

アルバム特典映像の世界観を引っ張ってきて始まったOP、そして曲は予想通り。
スタンド真ん中より片側より14列、まだメインステージの四人を肉眼で見て、誰が誰かも分からず、出てきた、とだけ思った。
ただ、曲としてのクオリティの高い、そして耳慣れていてテンションのあがる曲にお借りしたペンライトとうちわを、回りに合わせ、メロディに合わせて振った。

数曲歌った後の一人一人のみんなを盛り上げるコメントは思っていたよりもオラオラ~~俺らの彼女~~という感じではなかった。
けれど最後の増田さんVTRからの白ペンweeeekの演出には卒倒するかと思った。
けれど、それは「こんなの知らない、見たことない」「素晴らしいセンスだ」という感嘆で、本人たちが存在する喜びや、涙も、いやそもそも、コンサートにいる実感がなかった。
一人、コンサートの世界から一枚隔てたところにいるような気がしていた。
そのまま、アップテンポなナンバーを純粋に楽しみ、フルスイングを聞いていたとき、私は気付いた。

初めからメインは小山さんを追っていた。(二番手は加藤シゲアキさんであの豊かな表情に一番好きになってしまうかもとすら思った)
嵐ばかりだけれど、ジャニコン歴は長い。
一番が終わった瞬間、小山慶一郎さんはメインステージからさっと姿を消した。
ソロ?いや、違う。ソロにしては早すぎる。(改めて考えたらそうでもない)
戸惑いながらも手越さんのフルスイングの伸びやかな大サビに聞き入ることのできない自分がいた。

そしてロメオ2015は始まった。
イントロ、現れた小山慶一郎さんは後ろにあるメインステージよりも横に長いモニターにはっきり映っていた。
わたしの知っていて、知らない、小山慶一郎さんがそこにいた。
ソロ曲は基本的にセクシーなメロディだし、KAGUYAなどNEWSの曲でも必要であれば惜しげもなくアイドルとしての色気を垂れ流している小山慶一郎さん。
衣装について、距離のことも記憶のこともあり曖昧で、けれど一つだけ言えるのは上半身には、丈の長い赤黒シフォン混じりのカーディガンのような上着しか身に付けていなかった。
とても引き締まった腹筋が剥き出しになるほど前開きの。
肉眼ではなく、画面に映るアイドルにここまで心を奪われた記憶はここ最近本当になかった。
気がついたらうちわを口元にあて、ペンライトを振ることも忘れ、ぼんやりとその光景を眺めていた。
あっさり、小山慶一郎さんにおちた。
歌い終わり、小山慶一郎さんの余韻が残ったまま一番楽しみにしていた加藤シゲアキさんのソロが始まった。
スタートからラストまでセンスは最高で
安直で申し訳ないけれど、ディズニーシーのBBBワンシーンを彷彿とさせられた。
加藤シゲアキさんがそれを知っていたとは思えないし、こじつけに過ぎないと思えば思うほど、加藤シゲアキさんのそのセンス、発想力の素晴らしさに頭が上がらない。

MCは画面が四分割されていて、全員の表情を細かく見られるよう配慮されていた。
機材の場所が被る影響で、私の位置とその反対は、一画面見えないメンバーがいたのだけは勿体無かった。

その他細かく感じた演出や、座席、構成に明言するときりがないので今回は控えておくことにする。

とりあえず、ロメオ2015以降、わたしは小山さんにおちた。
おちた後から、「何故だかわからないけれど口から出る悲鳴」が四回くらい出た。
(私のなかで起きる場合は)嵐のコンサートで暗転から叫んで、明るくなればまた叫び、シルエットに叫び、ととまらないアレだ。

新しいところに心が引っ張られたな、と感じた。
小山さんのピアスに魅力を感じると幾つか前の記事に書いたけれど、小山慶一郎さんは私のなかでとても、アイドルという2.5次元と二次元の境目にいるような人だとしみじみ思う。
ピアスも、ピアスホールも、その他全部。
人の服の下は見えない、当たり前だ。
けれど小山さんは上半身露にし、それを見たわたしは生きてる、とか、かっこいい、とか、それとは違って、多分小山慶一郎さんを2.5次元と二次元の狭間の王子様のような存在にカテゴリーしたのだ。

悲鳴がとまらないのは眩しいからでかわいいからで綺麗だからでそれは、青春とは近いようで遠い、でもその言葉をあげたくなるような、青臭い感情を抱いたからだ。
これから、私はNEWSなら小山慶一郎さんが好きですときちんと言える気がする。
あのパフォーマンスでおちた、というのはなんだか気恥ずかしいが。

ただ一つ違うのは、NEWSとNEWSのファンが好きだから、だからこそ、他のファンがNEWS(それが一番好きな小山さんであろうと)と触れあい、幸せな気持ちになってほしい、と思うことである。
一人でも多く、NEWSと幸せを分かち合ってほしい。

NEWSなら、もっと、もっと、どこまでも行くことが出来る。
絆とかそういう言葉を臆面もなく使えるようなグループと、そのファンであってほしい。
あわよくば、私もいつかはそのファンの一人としてNEWSを盲目的に愛したり、してみたい。

紫式部ダイアリー

三谷幸喜作品(映画)はよく見たがあまり覚えていない。
そもそも映画が苦手なのだ。
特にほうれんそうがないから起こる食い違いにはコメディであろうと恋愛であろうとイライラしてしまう。
母親はその入れ違いに楽しさを見いだし、同じ娘であるわたしもそうだろうとよく映画館に連れていかれ、すっかり映画が嫌いになってしまった。
大人になり、好きな映画も出来た。
気になるものはとりあえず見てみようと思った。

今日、WOWOWで放送された三谷幸喜脚本の長澤まさみ斉藤由貴出演の二人舞台を何気なく見ていたら牡蠣鍋そっちのけになっていた。

ここからネタバレ含みます。





紫式部長澤まさみ)と清少納言斉藤由貴)がバーで飲む話。
出ている人や書いているものは史実、舞台は現代という形。
ベテランの清少納言と若手売れっ子小説家の紫式部文学賞の審査員を勤め、翌日が授賞式。

先に飲んでいた清少納言と遅れてやってきた紫式部の会話からも探りあいや、ライバル心が伺える。
一足はやくインタビューの仕事を終えた清少納言と、仕事が多く長引いた紫式部
紫式部は「すみませ~ん~」「わたしって断れない性格で~」なんて言いながら掛け持ちしている仕事を自前のパソコンでぱちぱちとやりだす。
清少納言は大人の余裕で「そういう時期ってあるわよね~」なんて受け流しては見るものの明らかに聞いていない紫式部
飛ぶ鳥を落とす勢いの若手女流作家である紫式部は自由奔放だ。
清少納言に対しても、時に「(いいアイディアが思いついたから)黙って!!」と強い口調で言ってみせる。
明日のこともあるから早く切り上げようと少し清少納言が口にしても紫式部は「え?朝まで大丈夫ですよ?」というような感じ。

まずは文学賞の選考会で講評を述べる役を自分に譲って欲しいと清少納言紫式部に言うところから探りあいの空気からは一転。
世代交代を感じさせたくない清少納言と、特別興味は無いがOKを出してしまった紫式部
そこから紫式部清少納言に頼みごとをしたり、清少納言の作品にケチをつけるようなことを言う。
会話の中で紫式部の使っているパソコンでこつこつとエッセイになりそうな文章を作っていることを漏らす。
今日のことも勿論書きます、言い切る紫式部が席を立ったときにそっとパソコンを開く清少納言
けれどパソコンにはパスワードがかかっていて、見ることが出来ない。

二人はアルコールと共に二転三転していく会話の中で心のうちを語る。

清少納言は見た目が優れている紫式部がどうして文章を書くのか、と。
文章はそれしか持っていない人間が、それしか出来ないから書くのだ。
なのに貴方は美しく、スタイルもよく、才能もある。

紫式部は、誰もわたしの内面を見てくれない。
肌の荒れにはみんなが言葉をかけるのに、筆が荒れても誰も何も言いやしない。
それに自分よりも若い作家(和泉式部)が出てきたときわたしはどうしたらいいのか。

今ではなく千年後、作者が若いか、化粧が濃くなったか、男か女かそんなことは誰も気にも留めないが作品は残る。
そう、清少納言は諭す。

今回受賞作品はなしにしてしまおう!和泉式部なんて潰してしまおう!とグラスを合わせる。
吹っ切れたような様子の二人。

紫式部は唐突に××年物のお酒が好きだがもう製造が中止になってしまった、と話し出す。
そのボトルを持ってくるバーテンダー
上機嫌の紫式部はまた席を立つ。
ボトルを眺める清少納言
何かに気付き、パソコンを開く。
四桁のパスワードは、その酒の年代だった。

そこに書いてある文章を見て、清少納言は口を押さえる。
表情からは紫式部がどんな文章を書いているのかは読み取ることは出来ない。


結構はしょったのですが、こんな感じでした。
面白かった。

特にわたしは清少納言に感情移入をしました。
紫式部が悩みがある、と言ったとき「書けなくなるんじゃないかって思う気持ちは分かる、わたしもいつもそう思いながらずっと書いている」というのですが、紫式部は「あ、そういうんじゃないんです」と答えます。
清少納言は、書くことしかなくて、それが居場所で、楽しくもあり、でも若くて尚且つ才能のある世代が下からどんどん迫ってくる。
その心のざわざわとした気持ちや、けれど「嫉妬している」「認めたくない」気持ちを公にしたくないから大人に振る舞う。
けれど、それすらも紫式部に見抜かれてしまう。
「本当はうっとおしいと思っているんでしょ?でもそんなことをしたら器が小さいと思われるから、認めたふうをしている」。
そして、美しく才能のある紫式部に対する本音をぶちまけます。
上記した「文章はそれしか持っていない人間が、それしか出来ないから書くのだ。なのに貴方は美しく、スタイルもよく、才能もある。」というような台詞ですね。

正直、美しいんです、だから内面なんて見てもらえないんです!なんて悩みに共感できる人なんてあんまりいないと思うんですけど、長澤まさみが言うと、「ああ、確かにな・・・」と思わせてしまう感じがします。
尚且つ「内面見てもらえない~~それはわたしが美しいから・・・なんて・・・罪・・・」みたいな悪意も穢れもないナルシズムにも取れる雰囲気がまた良かったです。

WOWOWでは後にインタビューが入るんですけど、三谷幸喜さんがラストのシーンは本当の紫式部の日記はあるからそれを読んでもいいんだろうけれど、それがあの世界で書かれていたこととは限らない、という感じでした。
長澤まさみさんは「あーパスワード、わざと言ったんだと思いますよ、性格悪いって本人言ってるし」みたいな感じでした。
わざとパスワードを教えたのだとしたら、きっと本当の紫式部の日記と同じことを書いてあったのかな、とわたしは思います。
とり方は自由ですからね・・・わたしはそんな風に思いました。

なんとなく、誰が見てもどきっとする話なのかな、って思います。
特別何かものづくりをする人は清少納言の言葉にどきりとするんだろうけれど、今はちやほやされているけれどあと少ししたら自分はどうなってしまうんだろう?という言葉も人によっては感じるものがあるだろうし、逆に清少納言のように下の勢いに怯えたり、いつか何かに対する欲求や才が途絶えてしまうのじゃないかと時間が経てば経つほど深まっていく思考も分かるんですよね。

あと、余談なんですがわたしは長澤まさみが昔すごく嫌いで(理由はなんか喋り方が嫌いとかそういう感覚的なものと思い込みに近いやつ)でも今日見ていたら演技もそのあとのインタビューの据わっているような瞳と自分の立ち位置の分析するさばけた喋り方とか、華奢な体とか、感情のアップダウンの演技とか、とにかく好きになりました。
単純ですが。
美しい人が好きです、でも美しいと思うきっかけが無いとずぶずぶに好きにはなれないんだろうな。

明日誕生日なんで、二十歳最後の優雅なお風呂とか思ってたんですが全然これ書いていたら時間やばい。

NEWSを知って良かったこと(1)

年末くらいにNEWSに詳しくなりたい!と思い、気がつけばシングル・アルバム発売、ツアー決定と怒濤の勢いで露出していくNEWS。
すこし、自分も落ち着いてきたので、NEWSを知って感じたことをいくつか。
続くかはわからないですがとりあえずキリが良いところまでのつもりなのでその一にしておきます。

そもそもなんでこんなことを書きたいと思ったのか、といえば加藤シゲアキさんです。
NEWS新参者として落ち着いたなぁ、ある程度追うものは追ったなぁと腰を落ち着けても未だにNEWS知って良かった案件では「カカオ」がわたしの上位です。
カカオ!カカオ!カカオ!ということなんです。
NEWSは走魂→過去音源→ライブ→バラエティ→本→過去インタビューくらいの順なので最初に衝撃を受けたものがまだ薄れていないのだと強く感じます。
わたしをよく知る人はNEWSを好きになった、というと誰が好きなの?と聞くでもなく「あ~~似てるもんね~~」と言います。(嵐は二宮さんが好きです)
一応小山さんが一番好きです。
今何気なくカカオを再生して、何度感じたかわからない衝撃を受けております。
この衝撃、受けたときもとてつもないんですが、余波がじわじわしみじみ効いてくる。

NEWSを認識したのは中学くらいのweeeekを見た頃。
山下さんかわいい、くらいのうすぼんやりした感想で、くせになる声→山下・錦戸、うまい→手越、チラリズム→くろぶちが似合う二人かわいいダンスかわいい(名前ぼんやり)という本当に浅い知識で、生放送とかだと心配な歌の人いるな…(でも誰だかわからない)って思ってました。
でもNEWSに興味を持って、たまらなく声が好きだ!と感じたのは昔勝手に心配していた人と同じ人でした。
ただただ好み。

カカオを聞いた瞬間に初めて「〇〇を知らなくて損した」「人生のなかでまだ間に合うタイミングで知れて良かった」という二つの感情がすさまじい勢いでせめぎあいました。
FCに入る確実なきっかけの一つは「コンサートがある」という確信があったからで(まだKAGUYAも決まってなかったくらい?)コンサートがある、の言葉のなかには「加藤シゲアキのソロをひとめ生で見なければ死んでも死にきれない」が八割くらいありました。
今はNEWSが生で見たいし、アルバムのこの曲はどうなるのかとか、ダンスもMCも興味は身を乗り出すほどあります。

ひとつひとつあげてもしょうがないので割愛ですが、加藤シゲアキさんのソロを聞き、パフォーマンスやPVを見るたびに頭を抱えていました。
未だにどうしてこんなにわたしはこれが好きなんだと思うくらい、曲を聞いているだけなのにドキドキソワソワします。
あぁ!好きだよ!と開き直りにくいな、と思うほど。
好みなんだけどそれだけじゃなくて、メロディや歌いかたひとつひとつに、こちらをぞくっとか、どきっとさせる色があって心臓を捕まれている気持ちです。
あと、この曲はこう、ってカラーというか方針がはっきりしていて、自分の心持ちもやり易いんですよね。
まぁ、曲の好み云々は完全に感覚の問題なのでこれがこうだから好き!と言えないのですが。

そして見れば分かるのですが、加藤シゲアキさんは顔がかっこいい。
わたしはどこに目がついていたのかな、と思うほど遅れて気がつきました。
最初は思ったよりツンツンしてなくて表情感情が豊かで意外、と幸福魂見て思いましたが、よく見たらというか見なくても顔の造形がとんでもない。
こんなに美しいって彫刻とか美術品の類いだぞと思う時がよくあります。

あと、加藤シゲアキさんといえば小説。
まぁ別記事に書いたので割愛ですが、ピンクとグレーの後半、読み手が止まれない訳がわからないほどの勢いで到達し(させられ)て、そこで目に入るラストシーンは逆に気持ち良ささえあります。
このラストに爽快感、開放感を覚えるのは間違っているような、正しいような。
血の流れを止めて、もう無理ってところで離して血流を感じるとか、ギリギリまで息を止めてから呼吸するとかそういう開放感はあるかな、許された、みたいな。
だからピンクとグレーが一番好きです。
皮肉っている言葉選びもあるけれど、基本的には読みやすくてすっきりとした文章。
無駄がなくて綺麗だし、これを加藤シゲアキさんが構築してる…と確認しながら一文一文読みたくなります。
小説を読むときは作者の顔や性別が浮かぶタイプなので、顔も名前も声も知っていると逆に鮮明すぎて不思議な感じです。
短編はあげられるほどまだ読めていないのが残念。
加藤シゲアキさんの言葉選びはなんとなくネットを活用する人が聞いたことのある選び方の時があって覚えが…って思うときと、やはり文章がうまいから頷きすぎて首もげるときがあります。
後者を強く感じたのはKAGUYA発売時かな?ジャニーズwebの曲の紹介コメントで小山慶一郎さんの声を紹介したところ。
小山慶一郎さんの声が勿忘草の歌詞にぴったりだと言うのを表現する言葉回し(正しい内容は失念)を見ていて、「わたしも小山さんの声は絞るようにするところが好きだ」と思いました。
メンバーのことを知っている観察眼のある人が言葉選びにも長けているなんて最高すぎる。

書いていてもはや加藤シゲアキさんを知れて良かったことになってることに気付きました。
でもまぁこのままのタイトルで行きます。
とりあえず一区切りで。

手越さんの声のこと、まだ増田さんのことが全くわからないこと、小山さんはグループの入り口の新しい形なのではとか書きたいことがあるのですが書くかもしれないし書かないかもしれないです。
コンサート、東京、行けたら行きたいなぁ。

新年の目標・本を読む

rii(りい) (@irhnhht)さんの11:54 午後 on 水, 12月 31, 2014のツイート: 
2014年は久々にジャニーズに熱をあげたり、一人暮らしをはじめたり、充実した一年でした。仲良くしてくださったみなさまありがとうございます。2015年は14年の倍、本を読みたいと思っています。NEWSコンサートに行く、小説を書く、新刊に出し惜しみしない(目標)

こちら、大晦日に掲げた15年の目標である。
13年の冬、テレビのない寮のようなところに数ヶ月住むことになり、その時期は意味もなくマフラーを編んだり、時間を潰すことに躍起になった。
合わせて、人生で一番ブックオフや図書館に通ったと思う。
が、14年に入り一人暮らしをし、テレビを改めて見ると、非常にテレビが面白く感じた。
そこから、ガクンと休日に出掛けることや本を読むことが減った。
テレビはいつつけてもなにかしら賑やかなことをやっているし、頭が動いていなくても楽しめる。
ついつい、本を手に取るより先に、番組表を見てしまうのだ。
自分にとって、これは本当に良くない。
只でさえ、何も考えないで生きているのだ。
本まで読まなくなったら、更に与えられるものだけですっかり満足してしまうだろう。
それでも、必要なものがあるときに腰を上げられる人間なら良いだろうが、そんなきちんとした人間ではないことは、わたしが一番よく知っている。
このまま、夜になればボーッとして想像力がなくなって、久々に本を手にとっても数ページで止める、なんてことが今から目に浮かぶ。
どんどんと退化し、甘えが出て、でもそれに慣れて居心地が良くなる。
そこからもとの、一年とか二年前の自分に戻ろうとしても出来ない、難しい、わたしはそんな感じだ。
直る直らないはさておき、他の考え方や行動においても自分が人並み以下であることだけは忘れないようにしようと思っている。
傲りだしたら、自分の横っ面をすぐに叩けるように。

年始早々本屋に行った。
4日までブックオフが多少安くなっていると聞いたけれど、お正月特番やベイマックスに抗えるはずもなく、テレビを見て、映画を見に行ったら終わってしまった。
そもそもの目的は文字が綺麗になりたいから、とペン字の本を探しに行った。
書店でその類いの本を物色しながら冷静になった。
型から入るのがわたしは大好きだが、買って二三日で終わるのが目に見えているし、これを買うくらいなら小説が買いたいし、毎日書いている日記をもっと丁寧に書けばいい。
ひらがなや季語、住所などの書き取りが載った本を押し戻して、小説を探しに行った。
結局、見覚えのある表紙の本を数冊買った。
引っ越しの際にあまり読まなくなった本をまとめて手放した。
なのでこれは昔持っていたか、などと考えながら買っているが、買う本、買いたいと思ったままの本、図書館で読んだ本など、色んな触れかたをしていたため、よくわからず、とりあえず買った。
買い直しになったとしても、長く読めれば無駄ではないだろう。

加藤シゲアキ閃光スクランブル
平安寿子「恋愛嫌い」
田辺聖子「孤独な夜のココア」
梅田みか「海と真珠」
の四冊を購入し上の二つは読了した。
傾向として、最近は短編小説を手に取りがちだとやっと気付いた。
短ければ一段落つけやすい(長編を読むと最後まで止められない)し、読むごとに消耗したら止められるからだ。
昔は一気読みが増えていたというのに、いまでは短編小説を読み終わるのも二三日かかる。
夜のたまの時間に捲っては止め、捲っては止め、と繰り返す。

加藤シゲアキさん以外に長編に手を出さなくなってしまい、集中力が減ってきているのも分かった。
近々文庫で発売される「密室殺人ゲーム」シリーズの続編の他にも幾つか興味が持てるものをまとめて買おうと思う。

偶然、読書メーターというHPを見つけ、一気に損した気持ちになった。
これにもっと早く出会っていれば…後悔は尽きないが、年始二冊目まで読了した一月の頭で出会うことが出来たのはかなりの好タイミングだろう。
むしろ年始の目標に読む本の量を掲げた年から本の記録を出来るのだ。
どのように記録をするか(読書ノートをつける、携帯に書く、ブログに書くなど)悩んでいたが、個人的ではありながら、他の人の感想なども読めるし、アップロードするかたちだからか多少はやる気も出る。
早速「恋愛嫌い」と「閃光スクランブル」の読み終えた日にちを入力した。
そこそこの機械音痴なので一度書き終えて編集する方法などまだ不明な点も多いが、唯一自分に課し、尚且つ期待している目標を達成できるように、きちんとした記録をしたいと思う。