19歳、newseveryを見ていた

とにもかくにも貧乏性である。
趣味で中学生から書いて今では懐かしいと分類されるようなHPにも昔の話はどんなに自分でモヤモヤとすることがあっても書き上げた限り残している。
少し前の晩、どうにもたまらず書いたことがあるのだけれど、勿体無いのでこれもブログにのせておく。

最近、NEWSを好きだと話したらまた加藤シゲアキさんの担当だと思われた。
個人的にも加藤シゲアキさんを好きになるだろうなぁとずっと思っていたが、コンサートに足を運んでもやはり名乗るなら小山さんが担当になるだろう。
どうしてなのか、それは二人の醸し出す魅力云々の優越を個人的につけたいという意味ではなく、考えてみると、NEWSのメンバーの顔と名前が一致するようになった頃からしばしば思い出す光景があり、それがきっかけなのかもしれないと思い当たった。

19歳の夏の終わりから、年が明け三月の末まで(二年前くらいのこと)、わたしは寮のような所に入っていた。
これには一人で生きていかねばならないが、どうにもならないような複雑なことがあり、これが最良の選択だった。
最良の選択だとわかっていたものの、誰かと小さなテレビやお風呂場や食事どころを共有することもすごく怖かった。
不安にさいなまれながら、そこで暮らしている中で思い出す光景の数少ない一つがエブリーでレポートをしている小山さんの姿だ。
寮では皆が一人一人独立した行動をとっていて、わたしの暮らしている階であり棟はわたし一人しかいなかった。
挨拶以外はほとんどそこで人と会話をすることもなく、朝晩と出る食事を、決まった場所で食べた。
人が沢山いると決まりが悪くなってしまうので、食堂が開いてすぐという一番すいている時間に食堂に行き、同じようなメニューの料理を冷蔵庫とかから出したり、よそったりして、ご飯ののったトレイを置いてだだっ広いところでご飯食べていた。
だいたいテレビをつけると、エブリーがやっていて(他の人も来るから自分の好きなテレ東のようなアニメのチャンネルをつけることは憚られたのだ)顔をあげたら小山さんが被災地のレポートをやっていた。
最初はとてもかっこいいキャスターの人だと思っていたけれど、名前を見て、あぁNEWSの小山さんか、と気づいた。
各地をレポートをして周っている小山さん見ながら、一人でご飯を食べているその場面が未だに焼き付いてる。
確かにかっこいい人だなと思ったけど、それよりも小山さんの真摯な空気とか丁寧な言葉とか姿勢、あと美味しそうにご飯を食べる姿にすごく安心したのを覚えている。
それが多分、NEWSの小山慶一郎さんを認識した初めての瞬間かもしれない。

テレビを見てその存在が手を差しのべてくれたように感じたとか、心の隙間を埋めてくれたとか仰々しい気持ちとは正反対に、静かで素朴で小さい光なのだけれど、あの短い時間に自分が過ごした少し奇妙で不安だらけな世界で小山さんがエブリーに出演してそれを見ていた時間は、心持ちがちょっと楽になれた。
毎週かかさず見ていたわけでもない(テレビをつけない日や、他の人が先にテレビを見ていたこともあった)。
なのに、あの場所での食事を思い出すと、レタスとキュウリとトマトのサラダを毎日同じドレッシングで食べながら、ぼんやり小山慶一郎さんを見ていた自分を思い出す。

未だに小山さんを見るとかっこいいし、セクシーだし、かわいいし、沢山ときめきをくれるけれど、根底には、あの寂しくて堪らなかったあの時間に見た小山さんの存在の安心感とかあったかさみたいなのが、残っている気がする。

トーキョーライブがレギュラーになる前、小山慶一郎さんは生放送がとても上手で気になるなぁとTwitterでつぶやき、そこから少しNEWSに詳しくなろうと思ったあの日が始まりだった。
この事実は何一つ変わらない。
けれど、19歳のあの時、わたしは知らず知らずに小山さんに救われていて(これはちょっと大袈裟かもしれないけれど)だから今も、小山慶一郎さんをつい目で追ってしまうのだろうなぁ、と思う。
トーキョーライブで、小山慶一郎さんを見なくても、底に残っていた感覚みたいなのでいつかはNEWSを好きになっていた気がする。
タイミングに恵まれ、沢山の曲や映像を見て、FCに入り、生のNEWSを見た。
20歳になった日から、一年経った。
19歳の自分に、面白いことになったよと教えてあげたいことのひとつだ。