個人的な事と一つ前の記事について。

ぼーーーっとしていたら、久しぶりにコメントが来た。
読んでみると、このブログに関することで、先日更新したブログの記事を「嵐を引き合いに出してNEWSを褒めている」ので気分が良くなかった。とのことだった。

「嵐を引き合いに~」というより嵐自身の問題点はあまりなくて(例えばチケットが取れない、番組が〇〇だ、曲が〇〇だ、昔の方がなど、嵐というアイドルに関するマイナス要因みたいなことがあったとしてもそこをNEWSと比較して書いたつもりはない)、わたしが嵐に熱烈だった最中に身内がしたあれやこれやがまだ消化できていないので、嵐に向き合うのが困難である、というニュアンスで書いたつもりだったけれど、不愉快にさせてしまうかもしれない比較の仕方かもしれないな、とは思いながら書いていたのは否めない。
思っていたのに、改善点を考えないまま載せて嵐ファンの人を不愉快にさせてしまったのは、自分の至らない所であり、本当に申し訳ないと思う。
同じことを思う人がいるかもしれないので、ここに書いておきます。

中学生から嵐を好きになり、それはもう熱烈としか言いようがなく、毎回番組で好きだったところをつらつらと書いてはUPすることは人生で二度とないと思う。
それは年齢とか精神的なものとかいろいろなものが重なったのだろう。

嵐は多分一生好きで逃れられないまま八桁に増えたファンクラブ番号をポチポチ押したり、顔写真撮ってコンサートに申し込んだりするのだろう。
二宮和也さんの嵐にしやがれの何気ないしぐさとかで一時停止をして、好きな気持ちが溢れたり、こんなことを成人しても、人生でなにかが起きても、未だに二宮和也さんが好きだと言いつづけているけれど、それはただひたすらに思ったり、言ったり、勝手にしていれば良いのかもしれないなぁと思った。

インターネットは誰の目にも入るのでなるべく言葉を選んで発言したいし、人を不愉快にさせたくない、と考えている。
けれども、なかなか言葉だけではうまく伝わらないし、じゃあ代わりにいまから同じように嵐の好きなところをたくさん書きます、としようとも思ったけれど、よくわからなくなって、止めた。
自分が、二つのジャニーズのグループのファンをやっていることにもあまり良い気持ちが自分になく(面倒な人間だと思う)、片方に熱烈なことを書き、もう片方も、とすぐに切り替えることが出来ない。
それに、言われたから嵐の好きなところを書いたよ!という感じもなかなか違うように思えた。

たのしくて書いている小説でも、質が落ちたとか言われたこともあり、このようなHPと繋がっているブログでも、読んでくれた方を不愉快な思いをさせてしまうこともあったし、当分更新したりすることのないHPはそろそろ潮時なのかもしれない。
誰かと共有したい気持ちがあって、書いていた小説も、誰かと共有することが怖くなってしまったので、続けていけないのかもしれないな、とやっと思えるようになりました。

久しぶりにパソコンを開いて、少し考えてみようと思います。