幸福なこと

わたしはいま、本当の母親ととても距離を置いている。
もともと一人っ子で父親もいないぶん親しかったのだが、幾つかのことがあり、連絡先すら知らない間柄になった。

代わりに、義理の母親(本来の年齢ならどちらかといえばおばあちゃん)のような間柄の人がいる。
お互い人見知りでなかなか深く話したりはしないものの、普通の関係という言葉では成立しないほどには良くして貰っている。

一年前、友人から貰ったカーディガンをいつのまにかその人が着ていて、間違えたのかと思い、放っておいたのだが今年も着ていたので何気なく聞いてみた。
わたしのだとわかった上で簡潔に言えば、着心地が良さそうなのでパクった上に、一年前から着ているので返したくないそうだ。
正直、カチンときた。
なんなんだ~~というもやもやとした気持ちを残したまま、そのままあげることにした。
ちなみに普通に貸してくれと言われたら貸すし、何度かそういったことはあった。
なんとなく、無断というのが許せなかった。

だが、そのとき、あることを思い出した。

少し前食欲がなく、睡眠もあまりとれない時期があった。
いつもなら昼食の最中に夕食の話をするほどのわたしがコンビニのうどんを半分も食べず、しかもその日はそれ以外口にしていなかった。
その人とは同じ職場なのだが、いつも通り働いており、わたしも同じような一日を過ごした。

翌日、職場に行くとコージーコーナーの箱があった。
聞いてみれば、わたし宛に買ってきてくれたそうだ。
入っていたのは、シュークリームとスイートポテト。
二日ほど前にスイートポテトが好きだという雑談をしていたのを人に言われてやっと思い出した。
倹約家でコージーコーナーのスイーツを買っていることなどほっっとんど見たことがないのに、だ。
お互い出会った頃から人見知りで、その時の会話も聞いていたとは思わなかった。
けれど、気にしてくれていたのだなぁとしみじみ感じた。

他にもわたしが一度その職場に長期でいけなくなる際にわたしがいないことを寂しいとぼやいたり、「このエレベーターにまた○○と乗れる日は来るのかしらねぇ」と言っていた、とか。

こんな風に人に心配されたのは久しぶりだったので、少しだけ泣きそうになってしまった。
しかもいつもこういうことは人伝で聞くのだ。
顔を付き合わせているときはなんともクールであるというのに。

出会った頃から、その器の大きさに救われたことは沢山あるし、ここでは記しきれないほど良くして貰ったことを思い出してみるとカーディガンのことやそれに似た類いのことは「まぁしょうがない」と思えてしまう。
血の繋がりもなく、偶然知り合ったわたしという存在を、家族同然に心配をしてくれる人がいる。

その幸せだけは忘れないようにしたい。