ピンクとグレー

わたしは偏りがあるながらに本を読む。
すごく読むかと問われたらそうでもないけれど、それなりには読んでいるつもりだ。
本は好きだし、小学校の頃は星新一に出会い、中学時代に恩田陸の「三月は深き紅の淵を」に出会い、借りる上限の二冊を借りては翌日に返す生活をしていた。
喜ばしいことにわたしの家は窓を開ければ中学校が見える所に住んでいた。
運動会の練習の音も吹奏楽部の練習の音も聞こえた。
中学校に入学したら、小学校の大きな文字であっという間に読み終わってしまう本とは違うたくさんの魅力的な本に魅了された。
毎日昼休みに借りた本を抱えてさっさと帰宅して、自分のお金では買えないハードカバーの本や、手を出しにくかったものまで手当たり次第に借りた。
カードはあっという間にいっぱいになり、すぐにホッチキスで数枚ごとに止めてもらい、図書委員の先輩にお勧めの本を教えてもらったりもした。
その先輩は男性で、恩田陸が好きだと言ったら、常野物語シリーズをお勧めしてくれ、未だにわたしは恩田陸が好きだ。

わたしの大好きな作家の一人の川上弘美のエッセイで、蛇を踏むを書けば蛇が好きなのですかと聞かれるし、それに似たことが間々あるとあった。
けれど本は、フィクションだ。
動物を好きな女の話を書いている人が動物を好きだとは限らない。
ごくごく当たり前のことで、でもたまにその当たり前の切り離しが出来ないことがある。
自分が切り離しが出来ないせいか、読んでいるときに作者の顔や性別がちらつく本があまり好きではない。
恩田陸の本にそんなような記述がちらりとあったのも要因なのかもしれない。

ただ、加藤シゲアキの本は別だ。
加藤シゲアキが書いた小説であり、舞台は少なからず彼の置いてある環境に酷似している。
先月の中旬に購入したけれど、始めは読むことに戸惑いがあった。
戸惑いを解消したのは、予想以上に真面目に分析や感想の書かれていたレビュー。
それと、チャンカパーナ収録時「うやうやしくってほんとにあるの」という言葉を発したこと。
加藤シゲアキのソロ曲、パフォーマンスが今まで出会ったアイドルの中で一番好きなものになるかもしれないという予感。
ただ純粋にどんな本なのかという疑問に近い欲求と、加藤シゲアキの文章が読みたいという二つの欲求を埋めたかった。
とにかく、彼の書く文章に対しての興味が溢れて我慢が出来なかったのだ。
ただ、彼が書いた本はどんな本であってもその存在がちらつかないで読むことは不可能で、それだけが気掛かりだった。

昼過ぎに届いた本は、読もう読もうと隣に置いていて、それでも深夜になるまでページを開けなかった。

ただひとつ覚えているのは、翌日、わたしは悪夢を見た。
それほどまでにわたしは悩んだらしい。

読み終えてから眠るまで、頭の中でぐるぐるとこれは本当に面白かったのか?と繰り返し考えた。
何か少なからずかけているフィルターなのか、なんなのかと。
ただ、わたしは自分の中で面白い、という判断を下すなかに一つだけ掲げているルールがある。
舞台や映画、本などそれに触れている瞬間、現実のことを思い出すか否かだ。
そのルールに基づくと、彼の本は圧倒的に面白かった。
むさぼりつくようにページを捲ったし、読み終わった後、虚脱感に襲われた。
年を重ね、読む本が増えれば増えるほど、こんな読書体験をすることは減っていく。
だからこそ、読めたことが良し悪しで言えばきっと良かったということになる。

わたしはかなりの速読で代わりに繰り返し、繰り返し同じ本を短いスパンで読む。
昨晩、NEWSのコンサートのDVDを見た。
シャララタンバリンを歌い、踊る加藤シゲアキを見たらいてもたってもいられなくなり、また読んだ。
はじめて読んだときの感想は、
後半のたたみかけるような展開が面白かった。
前半はざっと読みに近いせいか章のばらつきに違和感があったけれど、必要な章の分け方と順番なのだろうとも思った。
という極めて有り触れたものだった。

ピンクとグレーは読むたびにわたしを混乱させる。
一度目に読んだときの居心地の悪さと、二度目に読んだときの居心地の悪さは全く違った。
多分、また短いスパンでこの本を読むだろう。
何度読んでも加藤シゲアキが、テレビに映る人間全てのことが、わたしは頭の中によぎるのだと思う。

本はフィクションで、テレビもフィクションで、アイドルもフィクションだ。
常々アイドルに投資をするたびに、夢を買っているのだと自分で考えていた。
アイドルの言葉や仕草を見て自分の好みに頭の中では都合よく変換している部分は少なからずあるし、わたしの思う一人のアイドルと、他の人の思う同じアイドルはきっと全く違う。
当たり前のことで、わたしはいつもアイドルを応援しながら取捨選択を繰り返している。
繰り返し、自分の思う「大好きな○○」を作り上げている。
だからといって、相手がしたことを「○○がすることじゃない」と激昂することも無い。
アイドルの本当のことを知ることはできない、だから信じたいことを信じて信じないことは信じない。
ここまで書いていると、まるでそれは占いのようだ。

ピンクとグレーは面白い小説で、でも読むたびに苦しくなる。
まだ二回読んだ程度では、あの濃密な世界、混濁した彼らの感情を汲み取ったつもりにもなれない。
これでは取捨選択なんてとんでもないのだ。
汲み取ったり、理解したつもりにすらなれないままでは、この本がどう面白かったか、彼がこうだからこうしてああだったなんて語ることも到底出来ない。
完成したピンクとグレーという世界は、体のどこにしみこむこともなく浮遊している。
いつか繰り返し読み、したり顔で感想を語れるようになった頃には、真っ直ぐ「面白かった!」と言えるのかもしれない。