二度目の青い申込用紙

ワンピースが一枚五千円だったりもする。
フリータイムで入ったカラオケの代金は千円で、ちょっとお気に入りのパン屋で朝食を食べたら九百円弱、アニメのグッズも千円前後のものが多いし、本だって安くて五百円でハードカバーなら千六百円もざらだ。
そんななかでジャニーズのファンクラブの年会費(入会費)が5000円、それでグループによってはほぼ100パーセントの確立でコンサートのチケットが手に入る。
そう考えた結果、わたしはファンクラブに加入することにした。
本を、外出を、年間で限りなく控えれば貯蓄も可能だし、「なんとなく出かけたいな」なんて気持ちのときも二回ほどぐっとこらえればどうにかなるだろう。

それにしても入会の手続きには戸惑った。
振込先に自分の名前を書いてしまうし、郵便局の人に携帯の画面を見せながら説明をすると、ご丁寧に一度振込先と照らし合わせて確認までしてくれた。
「こちらにはNEWSと四文字ですね、お願いします」と言われたときの気恥ずかしさたるや。

これほどまでに戸惑ったのは、入会手続きが本当に久しぶりだったのだ。
嵐のファンクラブに入ったのはまだカードが黄色い頃で、会員番号は六桁。
余りにも馴染み深い数字のせいか、そらで言えるが、最近嵐は会員番号を入力するとき八桁にしなければならず、頭にゼロを二つ入れるのを忘れてしまう。
本当にややこしい。
というか最近timeのポスターとFCのカードが酷似している?というツイートを見て、わたしの持っている会員証と今のものが違うのだということにやっと気付いた。
なんだかわたしが持っているものよりもシンプルでかなりおしゃれなカードになっていた。
でも、Aの文字が赤く、カードは黄色くて、ちょっと分厚いプラスティックで出来た会員証はわたしが嵐を好きになってからずっと共に歩んでいたものだから、すこし古臭いところすら愛おしい。

ジャニーズを好きになってから、ほぼずっとわたしは所謂同担拒否勢だ。
なので、嵐の情報も自分で調べる以外の入手方法が無い。
はじめから独占欲が強いという意味での同担拒否もあったものの、それでも今まで親しくしてきた人はわたしと好きな人がかぶっていたことが多かった。
まぁそのなかで人間関係やなんやかんやがあり、一人で行動する苦を感じないことから、前回のコンサートの応募から一枚での申し込みをするまでになった。(コンサートは外れた)
今回はNEWS、FCは一応メンバーの中で誰を応援しているのか書かなければならない。
ううん、どうするべきか、全員が魅力的な上にまだ知識は途上である。
とりあえず、今一番好きな小山慶一郎さんの名前を書いては見たものの、という感じである。
担当という言葉も別に好きではないし好んで使いたくないので、まぁ小山さんがいやみんな好きですかねえと自分の中では言い訳のように濁していこうと思う。
寧ろ、「小山さん一択!!!!」と叫びだせる頃には、二宮さんから担降り(この言い方もあんまりぴんとこない)ことになる以外にないのだ。

本当に飽き性だと家人に言われる。
そうだねえと返しながら、熱烈に燃えあがり集めて冷めていったものを思い出す。
初めて好きになった瞬間から、未だに飽きず絶えず変わることなく一番好きな人としてわたしの位置を占めているのは二宮和也だ。
LOVEは幸運なことにかなりの良席でコンサートを見ることが出来た。
肉眼で、前から八列目程度の位置に彼がいた瞬間は卒倒するかと思ったほどだ。
コンサートを神格化した瞬間と語った彼は変わらず、わたしの神様だ。
好きな人、ファン、という言葉が一般的に語るには無難で、そう話すしかない。
けれど、好きだ、と語るには余りにもおこがましくなるほどの、もうなんだかわけの分からない感情が嵐、そして、二宮和也という人物に抱えてしまっている。

いつか二宮和也ではない人を応援するだろうかとたまに考える。
彼をほっぽり出すほど好きなものには、中学時代から未だに出会えていない。
もしもそれがNEWSなら、と最近はよく考えるけれど、またきっとちょっと違う。
二つのアイドルグループは違う「好き」と「幸福」をわたしに与えてくれる。

NEWSを見れば、昔、嵐を見ていたように「キャー」とテレビの前で喜んで歓声を上げ、ひとつひとつの行動を細かく見詰める。
嵐を見れば、その姿が映っているだけで、微笑んでいるだけで心が満たされ、存在していることで同じように満たされる人がいるのだと思うとどうしようもないくらい幸せになる。
似たようで違う自分の中の感情は恋と愛と、そんな感じだ。
こんなに簡単に恋と愛というカテゴリに感情を当てはめてしまいたくは無いが、一番分かりやすいのはそうなのだろう。
愛は無償で、恋は求めてしまう。

嵐はもはやコンサートが当たらなくても良いし、わたしが行けない代わりにわたしよりも嵐に会いたいと、辛くて仕方が無いと思っている人がもし入ったのなら、それが一番いいなぁなんて思えるようにまでなってしまった。
精神年齢が非常に幼いわたしがこの思考にたどり着くのは、本当に長い道のりであった。
それまでコンサートどころの騒ぎではないほどひとつひとつのことに苛まれていたわたしが、もうコンサートに入れなくたっていい、二年に一度生で拝めたら万々歳(今のところ二年に一度ペース)というところまできている。

NEWSに出会ってから、毎日が楽しい。
彼らがつづる言葉を、今まで知らなかった彼らの素顔を、丁度のタイミングで出演する歌番組やバラエティ番組をリアルタイムで見て録画をして見直す熱量。
別にNEWSに会うわけでも番協に行くわけでもないけれど、なんとなく見た目をきちんとしようという欲求が出てくる。
久しぶりにアイドルに対して、親しみと絶対に近づけない相反する事実の中での楽しみを思い出したのだ。

久しぶりに大森靖子さんのミッドナイト清純異性交遊を聞いた。
道重さゆみさんのことを歌った歌ではあるけれど、「アイドル」というものに触れている人ならきっとぐっとくるのだろう。
わたしは特に「春を殺して夢はひかっている」「嘘でもいい 嫌いでもいい わたしを見つけて」という節にどきりとする。
実は上の曲と同じくらいアイドルという概念を思い出させる歌がある。
それは、嵐のBittersweetだ。
勿論、失恋ショコラティエの主題歌で、サエコさんに対しての歌に聞こえなくも無いような普通の片思いソング、だと思う。
ただわたしは初めてこの曲を聴いた瞬間から、涙がとめどなく溢れた。

冒頭、夢の中で君と笑えるなら、と大野さんの伸びやかな声で響く言葉。
夢で良いから会ってみたい、伝えてみたい言葉が沢山あって、でもそれは叶わない。
多分、叶うことなんて実際は求めていないのだけれど。
まぁ上げていったらきりがないほどに、わたしが一番応援している人に思うことが歌になっていた。
そうそう分かる、と言いたいけれど画面に歌に触れてみれば、実際それを歌って踊っているのが応援しているご本人だから泣けてくるのだ。
あなたに言いたいのですよと思いながら、Bittersweetを聞いては、失恋ショコラティエを見ればぼろぼろ泣いていた。
流石に今は収まったけれど、ここ最近出した嵐の歌では少なからず一番聞いているだろう。

話がすっかり脱線してしまったけれど、ファンクラブに入会する、というのはわたしにとっては大事件だ。
わたしがNEWSのファンクラブに入会することを決めた理由に、ひとつ大きなものがある。
ツイッターでは常々記述しているが、わたしはNEWSのファンが好きなのだ。
NEWSが四人になってからのコンサートのDVDでは、かなりファンの表情が抜かれている。
そして繰り返し繰り返しDVDを見て気付いた。
彼らが一人ずつコンサート終演前の挨拶の静かな中、丁寧に言葉を選んで話してく声をさえぎるような声援がほぼ無いのだ。
本当に、本当にびっくりした。
それを「マナーを守るファン」と感じつつ、一番に感じたのは、ファンは彼らの言葉に真摯に耳を傾けることが最優先事項なのだ、というものだった。
これは本当に勝手な感想だけれど、タオルを口に当てたり、うちわをぎゅっと握り、棒立ちになったり、時たま頷いたり、微笑んだり、拍手をするNEWSのファン(NEWSのファンという大まかな概念のようなものであり、一人一人というものではない)と、NEWSが作るコンサートが素敵なものに違いないと、改めて思ったのだ。

ジャニーズウェブで数週間前に書いてあった手越さんの言葉に、一月に発表されるシングルに、そしてここ数週間で感じたたくさんのことに、背中を押されるようにして、わたしは木曜日に郵便局に足を運んだわけであった。