自分にとっての嵐を考えた(1)

文章は紙とペンさえあれば書ける。
けれど、いまは携帯電話さえあれば書ける。
パソコンのメモが書きやすい、原稿用紙が良い、iPad的なやつ(情弱ですみません)が一番、なんていう使いやすさの順位はあるかもしれないけれど、思い付いた言葉を、そのまま保存することが出来る最小単位は紙とペンや携帯なのだろうなぁと思いながらはてなブログを開いた。

わたしにはいま綴りたいことが多すぎて、困っている。
でもそれのひとつひとつがどれも個人的かつ私的なもので、また人を不愉快にさせないかとヒヤヒヤもしてしまう。
それでも書くことしか出来ないので書いている。

最近aikoがMステで紹介していたアカシックの8ミリフィルム、という曲を初めて聞いたとき涙が出た。

あのとき8ミリフィルムにある歌詞の節々がわたしの傲慢なアイドルに対する感情を表していたからだ。

たとえば
「正直いうけどステレオタイプの未来は全然あってない」
「誰とも結婚なんてしないで さよならだけして」
「君の才能が欲しかった 超好きだったのにな」
「感情なんてなくたっていいじゃん なんて嘘よ」
などなど。
YouTubeの埋め込みが出来ないけれど公式にPVが上がっていて、そのセンスも、ボーカルのキーが高くブラックなほどかわいらしい女の子の歌声がグサグサと刺さった。

言葉、というのは声に出したり紙に書いたり、内に秘めないでどこかに発散することで整理できたり、「実はわたしはこう思っていた」とわかるのだと思っている。

8ミリフィルムを聞いたとき、わたしは直ぐに二宮和也さんのことを思い出した。
上記の歌詞を人間に求めるのは正直傲慢だと思う。
しかもアイドルに。
でも反射的にわたしは共感してしまった。
その理由が昨日分かった。

嵐を知りそのまま好きになったわたしはそこからひとつも成長していない。
小学生のころに好きになり、付き合いたいとは思わなくても、嵐は仕事の媒介を通して知るもの以外に何もバックグラウンド(努力やプライベート、大人の事情とされる事柄、本人の気持ち、世間、やるべきこと、優しい嘘)なんて興味も、バックグラウンドがあることを考えたことがなく、ただのファンタジーだった。
あの頃の嵐の雑誌やテレビが本人のありのままだと思っていたと形容するのが近いかもしれない。
ファンタジーとして好きになったら、ファンタジーとしてしか愛せなくて、わたしは今、「バックグラウンド(努力やプライベート、大人の事情とされる事柄、本人の気持ち、世間、やるべきこと、優しい嘘)」があることを知っているのに幼いときに植え付けたファンタジーとしての嵐を引き剥がせないまま、子供のまま、傲慢で怠惰な愛し方をしている。

昨日NEWSのコンサートの前に一緒にコンサートにお友だちとお話をした。
お友だちと呼ぶのはおこがましいかもしれないけれど、とても文才や言葉選びが適切で、考察もしっかりした頭の良い方だ。
お友だちはあと二つほど応援しているグループがあり、わたしもNEWSと嵐どちらも応援していて、自分に罪悪感を覚えるという話をした。(他の人のやり方は別に気にしない、自分の問題として)
なおかつ、この前のブログのようにNEWSは自分で選んで好きになり、嵐は自我が芽生えるのと同じように好きになっていて離れられない。
会話を重ねていく内にわたしはこんなことを言った。

「子供のころに二宮和也っていれずみがいつの間にか恐ろしいくらい濃く、入ってしまったんですよね」
「今さら好きとか嫌いとか解離だとかコンサート当たらないとかそういうのじゃなくて、もう取れないんですよ、二宮和也といういれずみが」
「だから多分自分で選んで好きになりたい、知りたい、じゃないから、(あり得ないですけど)嵐を好きじゃなくなることもきっと自分で選べない瞬間に来るんだと思います」

言葉にして、ゾッとした。
(気持ち悪いオタクという意味では本当に申し訳ないですがそれは元々なので)

二宮和也さん、嵐のことをわたしは動けなくて、選べなくなっている。
どんどんと国民的になっていくのを眺めながら、わたしが子供のころに作ったファンタジーとしての嵐とのギャップに勝手に不満を抱いても、それでも好きなものは好きなのだ。

多分大したことは書かない。
これからも良いことも悪いことも起きたこと全て幼い頃のファンタジーとのギャップや、テレビとファンの感覚のギャップ、願望、そんなものに勝手に困ったり、悩んだり、泣いたりしながら、わたしは取れないいれずみがあって、「嵐を好きで、本当に辛くて、ジャニオタやめたいんですよ」なんて言葉の裏側に8ミリフィルムの歌詞である「寝る前に考えないことなんてわたしはない 8ミリフィルムのように綺麗なもんじゃない」という気持ちを張り付けて黒霧島とか飲んで、またジャニーズ論を語るんだろう。


個人的な事と一つ前の記事について。

ぼーーーっとしていたら、久しぶりにコメントが来た。
読んでみると、このブログに関することで、先日更新したブログの記事を「嵐を引き合いに出してNEWSを褒めている」ので気分が良くなかった。とのことだった。

「嵐を引き合いに~」というより嵐自身の問題点はあまりなくて(例えばチケットが取れない、番組が〇〇だ、曲が〇〇だ、昔の方がなど、嵐というアイドルに関するマイナス要因みたいなことがあったとしてもそこをNEWSと比較して書いたつもりはない)、わたしが嵐に熱烈だった最中に身内がしたあれやこれやがまだ消化できていないので、嵐に向き合うのが困難である、というニュアンスで書いたつもりだったけれど、不愉快にさせてしまうかもしれない比較の仕方かもしれないな、とは思いながら書いていたのは否めない。
思っていたのに、改善点を考えないまま載せて嵐ファンの人を不愉快にさせてしまったのは、自分の至らない所であり、本当に申し訳ないと思う。
同じことを思う人がいるかもしれないので、ここに書いておきます。

中学生から嵐を好きになり、それはもう熱烈としか言いようがなく、毎回番組で好きだったところをつらつらと書いてはUPすることは人生で二度とないと思う。
それは年齢とか精神的なものとかいろいろなものが重なったのだろう。

嵐は多分一生好きで逃れられないまま八桁に増えたファンクラブ番号をポチポチ押したり、顔写真撮ってコンサートに申し込んだりするのだろう。
二宮和也さんの嵐にしやがれの何気ないしぐさとかで一時停止をして、好きな気持ちが溢れたり、こんなことを成人しても、人生でなにかが起きても、未だに二宮和也さんが好きだと言いつづけているけれど、それはただひたすらに思ったり、言ったり、勝手にしていれば良いのかもしれないなぁと思った。

インターネットは誰の目にも入るのでなるべく言葉を選んで発言したいし、人を不愉快にさせたくない、と考えている。
けれども、なかなか言葉だけではうまく伝わらないし、じゃあ代わりにいまから同じように嵐の好きなところをたくさん書きます、としようとも思ったけれど、よくわからなくなって、止めた。
自分が、二つのジャニーズのグループのファンをやっていることにもあまり良い気持ちが自分になく(面倒な人間だと思う)、片方に熱烈なことを書き、もう片方も、とすぐに切り替えることが出来ない。
それに、言われたから嵐の好きなところを書いたよ!という感じもなかなか違うように思えた。

たのしくて書いている小説でも、質が落ちたとか言われたこともあり、このようなHPと繋がっているブログでも、読んでくれた方を不愉快な思いをさせてしまうこともあったし、当分更新したりすることのないHPはそろそろ潮時なのかもしれない。
誰かと共有したい気持ちがあって、書いていた小説も、誰かと共有することが怖くなってしまったので、続けていけないのかもしれないな、とやっと思えるようになりました。

久しぶりにパソコンを開いて、少し考えてみようと思います。

ジャニオタが楽しい

私は現在22歳である。

小学生の頃、Gの嵐を見て(あいばすごろく)、ストッキングを被ったりしている海外帰りの坊主頭の男性が歌番組でキラキラのアイドルをかましていて、小学生ながらに一目惚れのような早さでファンになった。
母も協力的で、中学頃からFCにも入らせて貰い、グッズもCDもDVDも追うように昔のものまで買い集め、新規のものはもちろん初回通常と揃える熱烈ファンだった。
わたしは非常に拗らせたオタクで、同担どころか嵐ファン自体があまり得意ではなく(C1000イベントに連れていった友人にお礼を言われない、むしろ一人で前にガンガン行く、コンサートでも他の友達に会うという名目でいつのまにかぼっちになっている)、こういう事柄があったせいか、もともと一人でも平気なぶん、いつの間にか同じ二宮和也さんを好きになった母と二人でコンサートに行っていた。(一度は遠征もして夜通しコンサートの感想を語り合った)
母は同担拒否のわたしのために、大野担という顔をしていたが、いつも待受は二宮和也さんだった。
そんな母が昨年この世を去り、私はどんな顔で嵐を見たら良いのかわからないのだ。
嵐を見ると、母を思いだし、私がこの世で一番応援している人を考えると、亡くなったときの母の待受の画像を思い出す。
一緒に行ったコンサートの映像も、母と行けず嘆いたコンサートの映像もわたしは見ることが出来ない。
次第に嵐のDVDも見なくなり、知識は減っていく。
それでも小学生から全ての熱量を注いだ嵐を嫌いにも無感情になることも出来ないまま、中ぶらりんの状態でいる。

これは一応NEWSの話をしよう、と思ったブログなのですが、ここまでが前置き。

そして多分二年ほど前、わたしはきっかけがあり、NEWSを好きになり、未だに応援している。
成人前後で好きになったNEWSに対して、小学生の頃と同じ熱量を注ぐことは出来ない。
他に楽しいことはたくさんあり、小山慶一郎さんと付き合えないことも知っているし、小山慶一郎さんはジャニーズ(アイドル)という仕事をしている人間で、親がいて姉がいて彼女だっているかもしれないこともわかるくらいには大人になった。
小学生の刷り込みのせいで、嵐を生で見ると未だにわたしは嵐が存在していることに先ず驚いて泣いてしまうけれど、NEWSのときは存在していることは分かっていた。
当たり前のことなのだけれど、whiteではじめてNEWSを見たときに、これが当たり前なのかもしれない、と思った。

そんな風に「良い感じ」の距離感でNEWSを好きになれたのはわたしが小学生でなかったことや、嵐を先に好きになったこと(ジャニーズという概念にそれなりに耐性があった)、いつの間にか好きになったのではなく興味が湧いて自ら知ろうとした→そして好きになる要素があり好きになった、ということがあるんだと思う。

勝手に熱量を注いだくせに疲れてしまう上に熱量をセーブできないぶん、嵐を応援するのは楽しいようでひどく疲れた。
今はまだ母のこともあり、まともな時点で見られるようになるまでかなり時間がかかると思っている。

全ての嵐のCDDVDを義父に売られた時からCDを買うのが怖くて、ひとり暮しを初めてもCDが無くなるような気がしていたけれど、そんなひとり暮しのわたしが初めに買ったCDはwhiteだった。

NEWSは、わたしが大人になって、一人間であるなかで選び取った唯一の好きなものなのだ。
子供のまま恋みたいに、いつの間にか好きになった嵐は逃れられない呪縛みたいでたまに無感情になれたらと思うこともある。(結論は大好きで沢山幸せを貰ったしこれからも応援していきたい、になるけれど)

NEWSは、久しぶりに初回通常と揃えてCDを買ったし、未だに出演番組を全てチェックしている。
友達にCDを貸して、小説を貸して、感想を楽しみにしてみたり。
きっと、一番最初にCDを買わせてくれたNEWSが他にも今までわたしがしなかったことをたくさんさせてくれるんだろうな、と思っている。
わたしはNEWSもNEWSのファンの人も好きでみんなで幸せになってほしいと思っていて、whiteを見たとき、絶対に24TVも来ると確信した。
何年も見ても、録ってもいなかった24TVを24時間録画させてくれるのもNEWSだ。
もしかしたら初めて募金に足を運ぶのも、NEWSかもしれない。

わたしにとって、アイドルという職業は特別なものだ。
そんな中で、たくさんいるアイドルのなかでNEWSのファンになったのには、わたしの欲しかった魅力が詰まっていたからで、未だにNEWSを好きになったことを幸せに思っている。

6月、わたしの大好きな人の誕生日の近く。
NEWSのコンサートに、NEWSを教えてくれた方と、行く。
わたしにとって、気張ってもなく、怖くもなく、むしろあたたかく迎えてくれるようなNEWSファンの空気はNEWSが作ってくれたのだと思っている。
だから、NEWSファンの人が詰まったドームに行き、たくさんの同じNEWSが好きな人とNEWSを見ることができるのが幸せだ。
こんな当たり前のことを幸せに思えなかったわたしに、当たり前のことひとつひとつを幸せだと教えてくれたのが、NEWSで、だからこそ今、わたしはNEWSのファンになって、彼らを応援していることを心から幸せだと言える。



19歳、newseveryを見ていた

とにもかくにも貧乏性である。
趣味で中学生から書いて今では懐かしいと分類されるようなHPにも昔の話はどんなに自分でモヤモヤとすることがあっても書き上げた限り残している。
少し前の晩、どうにもたまらず書いたことがあるのだけれど、勿体無いのでこれもブログにのせておく。

最近、NEWSを好きだと話したらまた加藤シゲアキさんの担当だと思われた。
個人的にも加藤シゲアキさんを好きになるだろうなぁとずっと思っていたが、コンサートに足を運んでもやはり名乗るなら小山さんが担当になるだろう。
どうしてなのか、それは二人の醸し出す魅力云々の優越を個人的につけたいという意味ではなく、考えてみると、NEWSのメンバーの顔と名前が一致するようになった頃からしばしば思い出す光景があり、それがきっかけなのかもしれないと思い当たった。

19歳の夏の終わりから、年が明け三月の末まで(二年前くらいのこと)、わたしは寮のような所に入っていた。
これには一人で生きていかねばならないが、どうにもならないような複雑なことがあり、これが最良の選択だった。
最良の選択だとわかっていたものの、誰かと小さなテレビやお風呂場や食事どころを共有することもすごく怖かった。
不安にさいなまれながら、そこで暮らしている中で思い出す光景の数少ない一つがエブリーでレポートをしている小山さんの姿だ。
寮では皆が一人一人独立した行動をとっていて、わたしの暮らしている階であり棟はわたし一人しかいなかった。
挨拶以外はほとんどそこで人と会話をすることもなく、朝晩と出る食事を、決まった場所で食べた。
人が沢山いると決まりが悪くなってしまうので、食堂が開いてすぐという一番すいている時間に食堂に行き、同じようなメニューの料理を冷蔵庫とかから出したり、よそったりして、ご飯ののったトレイを置いてだだっ広いところでご飯食べていた。
だいたいテレビをつけると、エブリーがやっていて(他の人も来るから自分の好きなテレ東のようなアニメのチャンネルをつけることは憚られたのだ)顔をあげたら小山さんが被災地のレポートをやっていた。
最初はとてもかっこいいキャスターの人だと思っていたけれど、名前を見て、あぁNEWSの小山さんか、と気づいた。
各地をレポートをして周っている小山さん見ながら、一人でご飯を食べているその場面が未だに焼き付いてる。
確かにかっこいい人だなと思ったけど、それよりも小山さんの真摯な空気とか丁寧な言葉とか姿勢、あと美味しそうにご飯を食べる姿にすごく安心したのを覚えている。
それが多分、NEWSの小山慶一郎さんを認識した初めての瞬間かもしれない。

テレビを見てその存在が手を差しのべてくれたように感じたとか、心の隙間を埋めてくれたとか仰々しい気持ちとは正反対に、静かで素朴で小さい光なのだけれど、あの短い時間に自分が過ごした少し奇妙で不安だらけな世界で小山さんがエブリーに出演してそれを見ていた時間は、心持ちがちょっと楽になれた。
毎週かかさず見ていたわけでもない(テレビをつけない日や、他の人が先にテレビを見ていたこともあった)。
なのに、あの場所での食事を思い出すと、レタスとキュウリとトマトのサラダを毎日同じドレッシングで食べながら、ぼんやり小山慶一郎さんを見ていた自分を思い出す。

未だに小山さんを見るとかっこいいし、セクシーだし、かわいいし、沢山ときめきをくれるけれど、根底には、あの寂しくて堪らなかったあの時間に見た小山さんの存在の安心感とかあったかさみたいなのが、残っている気がする。

トーキョーライブがレギュラーになる前、小山慶一郎さんは生放送がとても上手で気になるなぁとTwitterでつぶやき、そこから少しNEWSに詳しくなろうと思ったあの日が始まりだった。
この事実は何一つ変わらない。
けれど、19歳のあの時、わたしは知らず知らずに小山さんに救われていて(これはちょっと大袈裟かもしれないけれど)だから今も、小山慶一郎さんをつい目で追ってしまうのだろうなぁ、と思う。
トーキョーライブで、小山慶一郎さんを見なくても、底に残っていた感覚みたいなのでいつかはNEWSを好きになっていた気がする。
タイミングに恵まれ、沢山の曲や映像を見て、FCに入り、生のNEWSを見た。
20歳になった日から、一年経った。
19歳の自分に、面白いことになったよと教えてあげたいことのひとつだ。

20150613 NEWS white(3)

コンサート楽しかったなあと思いながら久々に朝のニュースを録画した。
ジップもエブリーも同じチャンネルだったので映像が酷似していて、会見のものがなくて失敗してしまった。
エブリーはマストとして、フジにしておけばと今は反省している
エブリーの小山さん、コンサート明けという意味でキャスターに戻った翌日という記念も込めて録画をした。
ツイッターでも書いたがソロの画像が映ったので映像も流れるかと思ってしまったけれど、あの画像だけでも十分な収穫だ。

ワイドショーで見てほんっとうにNEWSの衣装は全ていい、としみじみ感じた。
衣装のセンスがいい、衣装が曲にも本人たちにも似合っていてとてもしっくり来ている。
席もそうだし、肉眼だったので、映像で見るとその鮮明な姿で本当に良かったなあと感じた。
こんなにコンサートの衣装含めたビジュアルのよさに感激して映像を熱望することになるなんて。

ツイッターでオーラスの情報などもちょこちょこ見ながら、手越さんの言葉についてもぼんやり考えていた。
考えたってどうにかなるものでもなくて、一つでも多く仕事を、彼らに近づくコンサートという大きな舞台が出来るようにファンとして全うに応援することが全てなんだろうな。

日曜日に熱に任せて二件の記事を書いて、半年以上放置していたブログが急に活用できている感じがする。
すこしのアクセス数ではあるものの小心者で、拒否されたり不愉快になった人はいないかとひやひやして、アクセス数はなるべく見ないようにしている。
でもいつもとはささやかながら違う数値で本当にびくびくしている。
でも書かずにはいられない。(また急にネタバレ)

 


 

増田さんの衣装がとっても良かったこと。
メンバー全員がとんでもなく麗しい顔立ちだからこそ、華美なものからシンプルなものまで似合うのだろう。
その中でも、ハンサムだったり綺麗だったり可愛かったりやわらかかったり麗しいにも色々あって、個人個人に合わせた雰囲気の衣装はメンバーを更に魅力的に魅せていたと思う。
わたしはBYAKUYAの衣装が余りはっきり見えていなかったのだけれど、髪形やサングラスなど含め全てカッコよかった。
もっともっとはっきり見たい、と思った。
画像の時点で完璧だったチュムチュムの生の姿もあまりの違和感の無さに驚いた。
ピンクのファーに黒白のTシャツというシンプルな服でチャンカパーナを歌っても見栄えがいいのが怖い。
コンサートTシャツもシンプルで四人並んでアンコールでくっついて歌っているあのかわいさったら無かった。

個人的にソロの衣装も演出も全員どれもこれもたまらなかった。
印象に残っているのは、増田さんのソロで、あの演出がすごく綺麗だった。
あの包み込むような歌声、モノクロに近い色合いのポンチョ?みたいな姿で手を広げると後ろの画面で白い鳥の羽。
まるで増田さんがなんらかの教祖みたいだった。
圧倒的なオーラに誰もがついて行かざるを得ないような。
声だけで魅せられる中、あの美しい映像、そしてダンスまで。
ご一緒した方が増田さんを好きな方で、自分もいつの間にか増田さんのことを見ていた。
次トロッコでこっち来る、とか、今のカメラで増田さんと加藤さんがかわいいことしている、とかいちいち言っていた。
自分の左で増田さん、右で加藤さんがバタフライを歌っており、途中でなにか様子が違うことに気がつき、加藤さんから増田さんに視線をやると、ペンライトの指揮をしていた。
スタンドの中間くらいと目線があう程度にせり上がる小さな台に乗った増田さんはバタフライのサビでペンライトを上下に振って!とアクションをし、サビが終わると手のひらを出して止める。
嵐でもこんなことやってた人いたなぁとか今になったら思うけど記憶違いかも。
ここの席でだけ勝手に楽しいことをやってる、って感覚がわたしは凄く特別な感じがして、凄く楽しかった。
何より、ぶんぶんとペンライトを振ってくれとアピールして、客席がその通りにやると満足げに笑う増田さんは凄く楽しそうに見えた。
行きたくて来ているこちらが楽しいのは勿論なんだと思うけど、アイドル側がその時その時を楽しそうにしているとやはり安心する。
屈託なく笑っている増田さんを見ていると、不信感を持たれる(KちゃんNEWSのメールのあれ)ほどにアイドル像を貫いている姿の中で唯一嘘でも作ったものでもなくすごく生々しい幸福さを持った姿に感じた。
増田さんの言葉選びが好きで、今までのコンサートでも「なんでこんなに同じ予定で同じ時間に集まっているんだろうって不思議で」と言って涙していたあれ、感覚的にも言いたいことも分かるんだけど、なんとなく不思議な言い方だと思っていた。
最近は「黒増田」と小山さんが言うみたいな言葉を発することも増えてきたということなのだろうか。
わたしが参加した13日のMCも「ここからMCに~」とゆったりとした小山さんの発言に客席が座りだすと、「まだ座っていいって言ってないけど!」と言ってファンも「キャー!」と喜びながら立ち上がる。
そこから「起立、礼」それから丁寧な口調で「乱暴な言葉遣いをしてすみませんでした」のような言葉。
MC明け(かなにか)も確か「起立、礼」から始まった。
増田さんの言葉の選び方、センスがそのときにもやっぱりいいな、好きだな、と思った。
なんとなくグループの面白いことを言う人のイメージだったけれど、MCを回しているわけでも大きくぼけたりいじられたりしているわけでもなかったから、元来言葉選びのセンスのいい人なんだろう。
あと、オーラスは「ドームはちゃんとしようって思ってたけど普通に戻っちゃったね」という類のことを手越さんがおっしゃっていたようなのでわたしはぜひ「普通」にのびのびしたNEWSのMCも生で聞いてみたい。

手越さんのソロ、ツイッターで手越さんにピアノを教えた方の発言に心底驚いた。
教えたのは電話と直接合わせて数回、だというから。
わたしはてっきりもともと出来る人なのかと思っていた。
勝手な思い込みに過ぎなかった上に、元々なんだろうなと思わせるほど彼のソロに危ういところは無かった。
どれくらいの練習時間を費やすことであんなに歌もピアノも全て魅せることが出来たのか。
本当に甘やかしたくなる人だ、誰よりもキャーキャー言いたい、ちやほやしたい。

思いつかなかったらもうこの記事で感想もやめるつもりなのでガンガン上げていく。

KAGUYAの演出は本当に美しかった。
小山さんのセクシーアイドルスイッチはごりっごりに入っていた。
横長の画面に映されるどの部分も麗しく見惚れるしかなかった。
最後、傘で隠れている間にどれがNEWSか分からなくなり、曲が終わるともう全く違う衣装になっているのが魔法のようだ。
ここからチャンカパーナに繋がるのもすっごく気持ち良かった。

さくらガールで思わず泣いてしまった。
加藤さんのマイクを両手で握り締めて体をお辞儀のように下げて叫んでいるように歌う姿は本当に目を惹く。
増田さんの包み込むような声ももちろんだけれど、少し高音ハモりのほうが強いテゴマスのバランスも愛おしい。
NEWSの声は四人混ざり合うと本当に更に音として完成される気がする。

勿忘草も増田さんの柔らかい歌声からスタート。
縦一列になってセンターのステージまでいく姿をじっと見詰めるのが幸せだった。
元々静かな曲だというのにそこからふっと暗転してから無音の時間が続いて驚く。
何よりもキャー!とかそういうのが何もなく、客席がNEWSの世界に浸り、次を息をのんで待っていたあの静かさ。
ファンのマナーという意味でも驚いた、あんなに贅沢な静寂は無い。
静寂明けがそっと現れた白いグランドピアノと、飾りのついた白のジャケットを羽織る手越さんだから本当にもう。

snow express
丸いステージが競りあがっていく中でスタンドマイクを四人向かい合うように内側において歌っていた。
ラップのときは特にパート(一人ひとりテンポが速くなってしまう中で)ごとにきちんとカメラのスイッチングが入っていて、その勢いに飲まれた。
やっぱり歌がみんな上手すぎる。
あの四人の世界でこの歌を囲むように客席で見詰めるって言う演出はNEWSにしか出来ないような良いところだと思う。

VTR
ほんっとーーーーーに感動した。
写真が流れたり今までのPVだったりソロや曲をイメージした映像が間に流れるのはよくあると思うけれど、これはwhiteのストーリーを引き継いで、尚且つファンに「手拍子」や「足踏み」「風を送る」なんていうその場で出来て楽しいことを協力して笑って出来る。
VTR自体の魅力(手越さんの戦ったりこちらへのアピールをするシーン、増田さんの殴られるシーンからウェブラックが風に弱いことに気付いて満足げに微笑む、階段を登るたびにHP減る加藤さんと唐突な足踏みにざわついてやっているうちに笑っちゃう感じ、なによりリーダーはカメラサービスしていたら近づいてくるウェブラックに気付かず逃げてしまう)という笑いや、本人たちの個性・かわいさが十二分に発揮された上で協力する楽しさまで兼ね備えていた。
ここからNEWSニッポンのコールに繋がっている構成もたまらない。

ポコポンペコーリャ
ドームの反響の中で手拍子がズレることも覚悟して歌うNEWS。
あの歌唱力じゃないと出来ない気がする。
「俺たちがあわせるから」と手越さんが言っていたとおり、ステージ側とこちら(客席内でもずれはある)のずれにも惑わされることなく歌いきって驚いた。
彼らの安定した歌があったから逆にこちら側の手拍子のリズムが合った様に思う。

ホワイトラブストーリー・渚のお姉サマー
四人座って歌うあのシンプルさが好きだった。
ホワイト~では、何より歌を歌いながら、歌詞になぞらえるようにふざけあったりしているのも、上の画面でよく見えた。
ダンスも歌もクオリティが高いからシンプルでも映えるのかなとか勝手に思う。
何やっているかわからない席が無い曲は大いに越したことは無いし、こういう贅沢さとか緩やかな魅せ方も堪らない。
渚~では足をぶらぶらさせたり思い思いに歌を歌いながら高さのあるくるくる回るステージにただ座って歌う。
ひと夏のアバンチュール寄りの歌のはずなのに、客席を見たり、メンバーを見たり、ゆっくり丁寧に歌を歌いながらいろいろなところに向けられる視線や笑顔を見て、自然と涙が出た。
帰りの感想メモには「ファンと受け入れあってる感じ?」と書いてあった。

愛言葉
ご一緒した方にも聞いたら同じ事をおっしゃっていたので幻聴じゃないと信じて書かせていただく。
小山さん、最後のパートでぐっときたのか声が震えていたような気がした。

VTR
涙が止まらなかった。
嵐のアンコールは一度目は決まっていて、あとは規制退場のはっきりしたアナウンスまでは必死に粘ると出てくるかもみたいなところがあって、でもあのVTRはすごく長かった。
コールをあおるキャラクター、もともと作ってあるものとはいえ、余りにも「まだまだ」「もっと」「本当にこれだけ?」「まだ出るでしょ?」「もっと!!!」とハチャメチャなほど煽られている気になってバカみたいに泣きながら呼んだ。
キャラクターが煽っているだけなのに、まるで袖のNEWSが「本当にこれだけ?」「もっともっと求めてよ」といわれているような気がして、少しでも大きな声でNEWSを迎えてあげたかった。
ファンはNEWSを求めているのだと、一ミリでも多く感じて欲しいと思った。

しかもそこからキャラクターがインド風のポーズ、背景と音楽の変化。
もともと披露の可能性があるとはいえ、入りまで計算されていて崩れ落ちそうになった。

現れたNEWSはとんでもないくらい衣装が似合っていて、大サビの歌詞とポーズもよく、頭から離れなかった。
なんとなく加藤さん、サビのチュムチュム~が照れているように見えたけど幻想かもしれない。
あと、発表したからって先行公開しちゃうかなーそういうとこ気にしちゃうかなーとか入る前にお話していたんですが、体感的にステージを降りたりして一人でも多くの人に近づいたりするNEWSはやっぱり「やっちゃう」NEWSなんだろうなと思って更に好きになった。
オーラスには入れなかったけれど、初めて生でチュムチュムを見た五万五千人の一人になれて嬉しい。

最後はNYAROでC&Rをやって盛り上がって終わったのもすごくすっきりした気持ちだった。
加藤さんのラジオもあって、時計を気にしつつだったけれど、またコールするのかと思ったら無くてびっくりした。
わたしはなのか今までの感覚の名残か、結構ねばるので、そういう感じじゃないところがNEWSファンっぽいなって思う。

もともと炎症で一週間病院通ってたんですけど、またちりちりします。
まさかこんなにちりちりすると思ってなかったんですけど、やっぱりコンサートっていいですね。
いつの間にか叫んで、いつの間にか泣いて、感想とか色々思い出して、さっきまでこの人が動いているのを見ていたんだって思いながら写真とか見て照れたり。
他のイベントで見ることも可能だけれど「アイドル」を感じられるコンサートはわたしにとっては凄く特別で、いけてよかったと思いました。